オモウということ [雑記・日記]
震災から1年。
今日明日のブログはこの話題の記事で埋め尽くされると思う。
地震、津波、原発事故については、今も続くそれぞれの立場があるので極々自分の事だけに留めます。
で、一年たった今、あの時思ったこと。とか。
「人を思う」気持の強さとそれを伝えることの難しさ。
震災当日、郡山にいて東京への退避を指示されてなんとか戻った。 (すべての交通動線が遮断されて、本当に「なんとか」だったね。)
翌日以降は電話も随分マシに繋がるようになり、被災地からの移動ができなかったり郡山に戻れない友人知人の安否確認に必死になった。
でも、宮城と福島に自宅がある友人数人にはどうしても連絡を取ることが出来ずに数日を過ごした。 さらに数日後、そのうちの何人かには連絡が取れた。
「よかった・・・」。
普段は年賀状やたまの電話程度の挨拶になってしまった仙台やいわきの友人たち。津波や原発の脅威に晒されながらも無事が確認できたことの喜び。
「出来ることは何でもするから言ってね。 食料は?ガソリンは?物資も東京ならまだ手に入る。」そんな会話を続けながらも簡単ではない状況に対するジレンマ。
そしてあと2人。 普段は全く連絡など取っていなかった。 「無事でいてくれればいいけど・・・」
今までにこれほど人を心配したことはあったかな?
ただ、伝えたかった。 安否が確認できなかったことの不安と出来ることは全て助けになりたい気持ち。
幸い最悪の事態を知らされることなく連絡を取る事が出来た時、「オモイ」とか「アイ」って言葉の本当の意味はこういうことじゃないかと考えた。
でも、残念なことにそれをそのまま言葉にしても、きっと伝わらないんだよね。
物理的にそばにいられる訳じゃないけど、迷惑でなければ、必要だとフラッグを立ててくれれば、ボクので良ければ力はいつだって分けてあげられる。
自分にとって本当に大切だと思った人だから。
ボクがあの時から使う「オモイ」とか「アイ」ってそんな気持ちのこと。
このエントリー読んでくれるかな?
最近また大きな地震が頻繁に起きている。
今度はもう少しうまくやれるんじゃyないかな。
今日明日のブログはこの話題の記事で埋め尽くされると思う。
地震、津波、原発事故については、今も続くそれぞれの立場があるので極々自分の事だけに留めます。
で、一年たった今、あの時思ったこと。とか。
「人を思う」気持の強さとそれを伝えることの難しさ。
震災当日、郡山にいて東京への退避を指示されてなんとか戻った。 (すべての交通動線が遮断されて、本当に「なんとか」だったね。)
翌日以降は電話も随分マシに繋がるようになり、被災地からの移動ができなかったり郡山に戻れない友人知人の安否確認に必死になった。
でも、宮城と福島に自宅がある友人数人にはどうしても連絡を取ることが出来ずに数日を過ごした。 さらに数日後、そのうちの何人かには連絡が取れた。
「よかった・・・」。
普段は年賀状やたまの電話程度の挨拶になってしまった仙台やいわきの友人たち。津波や原発の脅威に晒されながらも無事が確認できたことの喜び。
「出来ることは何でもするから言ってね。 食料は?ガソリンは?物資も東京ならまだ手に入る。」そんな会話を続けながらも簡単ではない状況に対するジレンマ。
そしてあと2人。 普段は全く連絡など取っていなかった。 「無事でいてくれればいいけど・・・」
今までにこれほど人を心配したことはあったかな?
ただ、伝えたかった。 安否が確認できなかったことの不安と出来ることは全て助けになりたい気持ち。
幸い最悪の事態を知らされることなく連絡を取る事が出来た時、「オモイ」とか「アイ」って言葉の本当の意味はこういうことじゃないかと考えた。
でも、残念なことにそれをそのまま言葉にしても、きっと伝わらないんだよね。
物理的にそばにいられる訳じゃないけど、迷惑でなければ、必要だとフラッグを立ててくれれば、ボクので良ければ力はいつだって分けてあげられる。
自分にとって本当に大切だと思った人だから。
ボクがあの時から使う「オモイ」とか「アイ」ってそんな気持ちのこと。
このエントリー読んでくれるかな?
最近また大きな地震が頻繁に起きている。
今度はもう少しうまくやれるんじゃyないかな。
2012-03-10 05:53
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0